多賀城碑 1995年9月
Olympus OM-10
35mm‾70mm/F4

多賀城政庁跡の南側に覆堂に囲われて建っている。
多賀城の造られた年、修造年、代表者、この地よりの各地への距離などが記されている。
1660年頃、土中より発見された。明治期に偽造説が出て、今でも真贋は不明。
ただ、内容が、江戸期初期に偽造しなければならない程の
(当時としたら)有名人物が登場している訳でもないのに、わざわざ造るのだろうか?
本来の「壺碑(つぼのいしぶみ)」は坂上田村麻呂が刻んだとされるので、
当時としての「村おこし」ならその名を刻むのでは?
偽物説はかなり揚げ足取りに近い様な気もする。
余りにも現代の視点に寄りすぎているのだ。

そんな事を飛び越して、芭蕉はこの碑を見て彼の時代から千年近く前に建てられた
碑が現存する事に只感動している。ただし、この碑が「壺碑」とされたのは
真贋は関係なく、明らかな間違い。芭蕉の時代もそのように喧伝されていたせいで、
彼自身そう思いこんでいた様だ。そして彼のその思い込みが、後世の私たちにさえ、
この碑を「壺の碑」の通称で呼ばせてしまう最大の要因、影響力なのだけれど・・・。