そんな達観した様な心持ちが、若かりし日から有るのなら素晴らしいんだけれど、そんな訳はない。
二十歳の私は、他人のお育ちの良さを羨む気持ちと、
そんな、
「どうにもならないモノ」
への苛立ちに溜息をついていた。
こじらせて偏屈男の誕生だぁ!....うん、そうなのかもなぁ。

 稀の帰省の際に気づいたら、もう使われなくなっていた小屋は、機械も朽ちて行くばかりで、ちっぽけな私的ランドマークは消えていく間際だった。

もう子供じゃないんだぜ。
自分の生き方の選択や過ごし方なんて、自分で責任取るだけだ。
他人と比べてみた処で、今更何があるの?
...その「ちっぽけな変化」で、そんな事を感じていたのでした。

なんかちょっと纏まらないままな話で御座いました。
結局その後もたいして成長していないんだよな...。


     2020.05.05   ごんた@往来眺眼装置

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